DTP講師のためのネタ

DTPの歴史からフォントの問題、MacとWindowsの互換性などDTP講師のためのネタをご用意しました。講習会などでご利用ください。



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日本におけるDTP


アメリカでは瞬く間にDTP革命が進行し、活版の印刷所を駆逐していきましたが、日本などではそのようなわけには行きませんでした。それは基本的にASCIIコードだけで書籍組版ができる1バイト言語の英語と違い、日本語は多数の漢字を抱える2バイト言語(カナも2バイト)であったことが理由として挙げられます。

当時のデスクトップマシンの処理能力と記憶容量では、多数の2バイトフォントを搭載して自由自在に組版するというわけにはいかず、さらに搭載して利用できるフォント自体が限られていたためです。

多数の漢字を抱える日本語では、フォント1書体あたりのデータ量が多いことなどもあり、DTP黎明期においてはかつての活字や初期の写真植字が事実上そうであったのと同様に、明朝体とゴシック体、それぞれ1書体しか使えず、その価格も極めて高額でしたが、文字通り、机上で実際の仕上がりに近いものが確認できることからグラフィックデザイナーなどの間で支持され、地歩を固めていきました。

2書体しか使えないというのはデザインの観点からは大きな制約でしたが、写真植字と併用するなど、それぞれのデザイナーが競い合うようにしてアイディアを凝らした作品を制作していました。

この当時の2書体とはモリサワのリュウミンL-KLと中ゴシックBBBで、これが日本で最初の和文PostScriptフォントで、スタートダッシュの早さから、同社は和文フォントのトップベンダーとなっていきました。


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